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東京地方裁判所 昭和32年(行)21号 判決 1963年5月30日

原告 田中直男

被告 杉並税務署長

訴訟代理人 小林定人 外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は差戻前の第一、二審および差戻後の当審において生じたもの全部を原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一、原告が、被告に対し、昭和二五年度分所得税に関し、総所得金額を三〇九、九三五円と確定申告をしたところ、被告は昭和二六年四月三〇日右金額を五一五、〇〇〇円と更正する旨の処分(以下本件更正処分という。)をし、同年五月二日この旨原告に通知したこと、これに対し、原告は被告に対し、同年五月二二日再調査の請求をしたことは当事者間に争いがなく、右再調査請求を棄却する旨の決定は、発送されたが、原告に到達しなかつたので、本件は所得税法(昭和三七年法律第六七号による改正前)第五一条第一項但書の「再調査の請求があつた日から六ヵ月を経過してなお再調査の決定の通知がないとき」に該当し、かつ、本訴が同条第三項所定の期間内に提起されたことは差戻前控訴審判決の確定するところである。

二、そこで、進んで原告の昭和二五年度分総所得金額について検討する。

(一)  まず果物販売による事業所得の検討からはじめる。

(1)  推計課税が許される場合かどうか。

原告が東京都杉並区高円寺七丁目九二〇番地で果物販売業を営んでいたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第六号証と差戻後の当審における証人上田春也の証言をあわせ考えると、昭和二五年一〇月ごろ当時杉並税務署直税課所得税係員であつた上田春也が原告の昭和二五年度分所得税に関し原告方店舗を訪れて調査したところ、原告は、「売上ごとに売上高をレジスターに記録し、閉店後にこれを売上伝票ないしメモに記載して売上帳に記帳する方法をとつている。」旨申し立てたが、レジスターの登録額と現金高が符合せず、当日の売上現金はレジスターに登録された額を八八六円も上回るものであつたこと、しかも、原告のいうような売上伝票は存在せずまたそれに代わるべきメモも存在しなかつたこと(原告の昭和二五年度分所得税に関し杉並税務署が原告方に赴いて調査したところ、売上帳を備え付けてはいたが売上伝票の存えなかつたことは当事者間に争いがない。)また、その際上田の追求に対し、結局、原告も売上高の計算もれのあることを認めていたこと、がそれぞれ認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。このように、売上伝票も売上高を記載したメモも存在しない以上、原告が「閉店後レジスターの売上高を売上伝票に記入したうえ記帳していた」と称する売上帳の記載を信用することができないと認められてもやむを得ないといわなければならない。差戻後の当審における証人井上美代子の証言および原告本人尋問の結果中には「レジスターの登録額より現金が多いのは毎朝釣銭の小銭を五〇〇円ないし八〇〇円くらいレジスターの中に入れておくことにしていたためであり、現金から、あらかじめ用意した右釣銭の金額を控除した金額を売上げとして売上帳に記帳した。」旨の陳述部分があるが、あらかじめレジスターに用意した釣銭の金額を記載した資料の存在しない以上、前記売上帳が信用するに足らないものと認められてもやむを得ないものというべきである。そして、ほかに原告の実収入を直接証明できるような資料が存在しないことは弁論の全趣旨によつて明らかであるから、結局本件は原告の所得を実額計算の方法によつて算出することはできず、合理的な方法によつてこれを推計して課税することが許される場合であるというべきである。

(2)  果物販売による事業所得の算定内容について

原告の果物販売営業に関し、昭和二五年度分の仕入額が二、六八〇、九一三円であり、必要経費が二、八九六、九六三円(仕入額も含む)であることは当事者間に争いがないから、売上額がわかれば同年度中の所得金額を算出できるはずである。

被告は、売上高について、まず右争いのない仕入額に杉並税務署職員が原告方店舗に赴いて各商品別に調査した結果に基づいて算出した差益率三三パーセントを乗じたものを右仕入額に加えた額である三、五六五、六一四円が原告の昭和二五年度中の売上高であると主張するので、考えてみるのに、前記乙第六号証ならびに証人上田春也の証言を綜合すると、同人は、各商品別(壜詰、鑵詰類を除く。)に仕入伝票で仕入値を、店頭に陳列されている商品の売り値の表示によつて売り値をそれぞれ確認したうえ、仕入れ値に対する差益率を三三パーセントと認定したものであること、その際店頭に陳列してある商品のみを念頭におき果物の腐敗等による廃棄量は考慮に入れられていないこと、右差益率三三パーセントという数値は、各商品別に算出した差益率(この場合、売値と仕入値の差額の仕入値に対する割合の意味に用いられている。)の単純平均によつて算出されたもので、各商品別の売値の単価に各商品量を乗じた売値の総計と各商品別の仕入値の単価に各商品量を乗じた仕入値の総計の差額を基礎として算出されたものではないことが、それぞれ認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。しかし、果物には、その性質上、腐敗が必然的に伴うものであり、仕入れたもののすべてが店頭に陳列されるとは限らず、店頭に陳列されても売れる前に腐敗して廃棄されるものが相当量あるはずであるから、仕入量と店頭に陳列される量が符合することを前提として計算された右差益率三三パーセントはこの点においてすでに失当であるのみならず、各商品の量の差異を無視し各商品別の差益率の単純平均によつて算出されている点でも不合理なものというのほかなく、到底仕入額から売上額を算出するための基礎としうるような数値でないことは明らかである。

そこで、次に、右の率によらず被告の管内同業者の標準差益率二九パーセントによつても、原告の所得は五六一、四一四円となる旨の被告主張について考えてみるのに、前記証人上田春也の証言によれば、当時被告の管内の同業者二十数軒の店舗について権衡調査をした結果、仕入額に対する割合の意味の差益率として二九パーセントという数値を得たことが認められるが、調査、計算の方法及び経過は必ずしも明らかでなく、それぞれの店の差益率を算出するについても各商品の量の差異を考慮したかどうかさえつまびらかにし得ないような有様であるうえ、差戻後の当審における証人中村長三郎の証言によれば、杉並税務署管内の同業者数は被告の調査した同業者の数の数倍あることがうかがわれるところ、その中から調査対象をいかなる基準によつて選択したかも不明であるから、被告が管内同業者の権衡調査によつて得たと主張する差益率二九パーセントという数値は、その算出の基礎が不明確というのほかなく、これを正当と認めることはできない。

しかし、被告は、右二九パーセントという数値は、東京国税局作成の昭和二五年度以降一〇年間の商工庶業所得標準率表により昭和二五年度分の青果物販売業の標準差益率を算出した場合の数値と一致するから正当であると主張するので、この点について検討することとする。まず、右所得標準率表が合理的なものであるかどうか、また原告の所得算定について適用しうるものであるかどうかについて考えてみる。

成立に争いのない乙第九、十号証によれば、昭和二五年度の商工庶業所得標準率表は国税庁がテストの目的で各国税局に統一的な作成方法を示して作成させたものであり、昭和二六年以降の分は右テストの結果を斟酌して国税局が作成したものであるが、調査の対象となつた営業種目は当初約一二〇種目、後約四〇〇種目に及び、営業者を各業種別、規模別、所得段階別に分類し、無作為抽出法によつて調査対象を抽出し、調査対象に選ばれた営業者についてその収入経費等の全体を詳しく調査し、その資料を集めてこれを営業種目別に分類して各営業種目ごとの平均値を算出し、平均値の算出については算術平均によらず幾何平均によつて算出する等統計の原理に基づいて作成したものであること、その結果営業の種目の異なるごとに標準率に差異があらわれたが、地域による差異や都市化の程度による差異はなく、規模の大小による差異も特別な種目の場合を除きあらわれなかつたことがそれぞれ認められ、右認定を動かす証拠はない。したがつて、右標準率表は所得を推定する方法として合理性を有するものであり、特段の事情のない限り、本件原告の所得を算出するについても適用しうるものということができる。そこで、本件の場合、原告に特段の事情があるかどうかについて考える。

差戻後の当審における証人酒井鷹敏、同中村長三郎、同井上美代子の各証言および原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和二三年九月父が死亡したため家業を継いだのであるが、その約一ヵ年位前父が病気となつてからすでに事実上姉美代子らとともに店の経営に当つていたのであり、ただ原告は当時未だ若年であつたため店の経理は主として原告の姉美代子が担当し、また昭和二四年ころから翌二五年ころにかけて約一年間、原告の店の番頭格として雇われた同業者の酒井鷹敏が経験者として原告および姉美代子の指導を兼ねながら仕入れ、値づけ、販売等に従事していたが、原告らも大体店の経営を覚えたので同人にやめてもらつたあとは、原告の弟市三を加え姉弟三名で営業したことが認められる。しかしながら、昭和二五年度中の営業は酒井が番頭格としてこれに従事していたころ又はその後のことであるから、これらの事情は一般の場合に比し特に、差益金額ないし差益率そのものの低下を招くような事情とは認められず(本件の場合仕入額については当事者間に争いがない。)他に差益率算定について右標準率表の適用を排除する理由となるような特段の事情があつたことを認めしめるに足りる証拠はない。

(かえつて、前記乙第六号証と上田証人の証言によれば、原告の店は国電高円寺駅北口駅前にあり、交通量多く問口二間奥行一間半の小店舗で商品量は少いが、他店に比し商品回転率多く、利益率も比較的良好であると見受けられ、同証人が前記のように原告方に調査に赴いた際、原告本人も差益率が大体三〇パーセントくらいあることをある程度承認していたことが認められる(原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用しがたい。)からこれらの事実と後記のように右商工庶業所得標準率表により推認される昭和二五年度の原告の同業者の差益率が二九パーセントであることからみれば、原告については右商工庶業所得標準率表による所得の推計を妨げるべき特別の事情はなかつたものというべきである。)

そして、前記乙第九号証および成立に争いのない乙第一〇ないし第一九号証によれば、昭和二五年度分および昭和二六年度分商工庶業所得標準率表については所得率のみ作成されていて差益率および経費率が作成されていないが、昭和二七年度分以降は所得率のみならず差益率も作成されている(したがつて、差益率から所得率を控除することによつて経費率は当然算出される。)こと、右差益率は売上額を基準とした数値であること、昭和二五年度分以降一〇年間の青果物販売業における標準差益率、標準所得率及び標準経費率は別紙一覧表のとおりであることが、それぞれ認められる。ところで、昭和二五年分標準所得率一七・三パーセントに昭和二七年度分以降昭和三四年度分までの標準経費率の平均値五・一三パーセントを加えると二二・四三パーセントとなるが、これは前に述べたように売上額を基準とした数値であるから、これを被告が被告の管内の同業者の権衡調査によつて得たと主張する数値のように仕入額を基準とした数値に換算すると約二八・九パーセントとなる。また標準差益率の作成されている昭和二七年から昭和三四年までの標準差益率の平均は二三・〇六パーセントであり、これを仕入額を基準とした数値に換算すると二九・九七パーセントとなる。さらに標準差益率が作成されている昭和二七年度分以降の標準所得率中昭和二五年度分の標準所得率に最も近似している数値を示しているのは昭和二九年度分の標準所得率一七・四パーセントであるが、標準経費率の変動は僅少であると認められるので近似標準所得率から近似標準差益率を推認することも有意義であると考えられるところ、昭和二九年度分の標準差益率は二三・一パーセントであり、これを仕入額を基準としたものに換算すると三〇パーセントとなる。以上のように、商工庶業所得標準率表を適用して原告の昭和二五年度の差益率を推定すると、いずれも二九パーセント前後となり、被告が管内の同業者の権衡調査により得たと主張する仕入額を基準とした差益率二九パーセントとほぼ一致する。したがつて、結局において被告主張の数値が合理的なものであると認めるほかはない。前記証人酒井鷹敏、同中村長三郎、同井上美代子の各証言ならびに原告本人尋問の結果中には、原告の同業者の差益率は右に述べたところをはるかに下回る旨の部分があるが、いずれも納得をうるに足りるような根拠に基づくものではなく、しかも差益と所得の混同さえみられるところもあるから、これらの証拠によつては、右の数値が合理性を有するものであるという認定を動かすに足らない。

そうだとすると、原告の昭和二五年度分売上額は三、四五八、三七七円となり、これから前記必要経費二、八九六、九六三円を差し引いて得られる所得金額は五六一、四一四円となる。

(二)  したがつて、昭和二五年度における原告の所得は果物販売業による事業所得だけで本件更正所得金額五一五、〇〇〇円を上回ることになり、アパート経営による不動産所得の点について検討するまでもないことになる。

三、よつて、被告が原告の昭和二五年度における総所得金額を右認定の五六一、四一四円の範囲内で五一五、〇〇〇円と更正したことを違法ということはできないから、原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 位野木益雄 田島重徳 小笠原昭夫)

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